視察見学会   市民と市で創る和泉まちづくりの会
視察見学会・『播磨ノ國 室津』
2005年04月09日
 03月05日に「市民と市で創る和泉まちづくりの会」が開催しました『和泉市のまちづくり活動に関する考察とまちづくりビジョンの提案』 シンポジウム(内容は別頁に掲載しておりますのでご参照ください)で基調講演を行っていただきました植田博之氏との打ち合せ中で氏が 育たれた播州地域の話となり、それでは一度行ってみようということになりました。 和泉ノ國大鳥郡生まれの僧行基によって創られたという相生市の東隣・御津町室津の湊を訪れることになりました。

 「室津」は『播磨風土記』に「室のように風を防ぐ泊りであった」とあり、天平年間(七世紀)に僧行基が開いた播磨五泊の西端の港で、古くから栄えた港です。  この港が面する播磨灘の東には難所中の難所、明石海峡があり、西は備前ノ國・牛窓の泊りまで、また四国の讃岐ノ國まで、瀬戸内海を往来する船が 潮待ちや風待ちをした天然の良港です。 古くは「室原泊り(むろのとまり)」と呼ばれ、「室津千軒」とまでいわれました。

 平安時代には北加茂神社(上賀茂神社)の神領となり、分社が祀られて門前町としてもにぎわいました。  また室町時代には室山城の城下町が成立しました。 江戸時代には姫路藩の港になり、西国大名の参勤交代の宿場町としてにぎわい、 「薩摩屋」「肥後屋」など六軒の本陣がありました。 また総勢500人にもなる朝鮮通信使も室津に泊まりました。  しかし明治以降は交通手段と交通路の変化に伴って急速に寂れていきました。

 いまはひなびた漁村として昔の華やかさは見られませんが、姫路藩主の茶屋跡・番所跡や当時の豪商の家が残り、狭い道幅に並ぶ古いつくりの町屋があります。かっての遊女屋や船宿として栄えた連子格子や手摺付きの町家が残り往時を偲ぶことができます。またここは日本の遊女の発祥地といわれ、平安や源 平時代には「室君、友君、宮木、花漆」などの遊女の名が「平家物語」などに登場します。

室津へのアクセス地図
山陽自動車道、龍野ICまたは
龍野西ICから車で30分
電車は山陽本線「網干」駅から
「室津」行き神姫バス

室津航空写真
 当日は当会の会員、12人が参加しました。朝9時に和泉市・人権文化センターに集合し、3台の車に分乗して室津に向かいました。  片道3時間の長旅でしたが、渋滞もなくちょうど昼時に予定通りに着くことができました。  まずは室津漁港を見下ろす料理屋さんの二階お座敷で地場のおいしく珍しい魚貝料理をいただいてから集落内の探索に出発しました。

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室津民俗館  残念ながら江戸時代に六軒あった本陣の建物は残っていませんが、旧豪商の家が二軒現存しています。  一軒は海藻類や生活物資をおもに扱い、また姫路藩の御用金用立ても行っていた『魚屋』で、現在、御津町立『室津民俗館』として公開されています。  参勤交代のおりに本陣が手狭なときには豪商の家にも分宿しましたので、『魚屋』には大名専用の入口や一階の奥座敷、 二階に上段の間があるなど、二十室・百五十畳を越える規模の建物です。  内部には登城籠や民具などが展示されています。  まずここを訪ねました。二階にある船底天井の部屋や上段の間など当時の民家にしては立ちの高い造りになっています。

加茂神社  室津漁港を抱きかかえるように伸びる南の岬の上に『加茂神社』があります。  1180年(治承4)に初めて五社殿ができ、正面には唐門があり東西の回廊に囲まれています。  これらは江戸初期の建物ですが、いずれも国の重要文化財に指定されています。  狩野元信筆の神馬図も奉納されており、これも重文指定されています。  このお社は40段ほどの石段を登った岬上にありますので、神社裏からは家島諸島など東洋のエーゲ海と言われた瀬戸内海の景色を眺めることができました。

 現存するもう一つの豪商の家『嶋屋』は現在、御津町立『室津海駅館』として利用され公開されています。  『嶋屋』は活動が北海道にまで及んだ廻船問屋として、江戸後期に建てられた建物です。  切妻平入り、二階建て本瓦葺という室津の町屋の特徴をよく残しています。  内部は「廻船」「参勤交代」「朝鮮通信使」「江戸参府」のテーマで展示が行われています。 海駅館(嶋屋)  ここにも『魚屋』と同じく、二階には座敷や二之間・三之間など本陣として使える諸室があります。  

 この館では期間限定ですが3日前までに予約を入れておくと「朝鮮通信使饗応料理」や「大名御上御献立料理」を 記録に残る当時のレシピで食べることができます。  また座敷や次之間を借りることもできるそうです。  わたしたちは心地よい海風の入ってくる座敷で、ゆっくりと午後の珈琲をいただきました。  抹茶や紅茶も用意できるそうです。

嶋屋平面図
同館パンフレットより

浄運寺
浄運寺山門
 その他室津には法然上人ゆかりの『浄運寺』があります。  この寺は法然上人が讃岐に渡るときにこの地の遊女であり木曽義仲の側妾であった「友君」が船を出したので法然上人25霊場のひとつになっています。  「友君」の墓も門前にあります。  また遊女の始まりとされる平安時代初期の人で、室ノ長者の娘「室ノ君(花漆)」が建てたといわれる『見性寺』などがあります。

 わたしたちが訪れた04月09日と10日(毎年4月の第一日曜)はちょうど加茂神社の祭礼『小五月祭り』の日でした。  室津の各町屋の軒先には注連縄が張られていました。この祭りは「室ノ君(花漆)」が舞いを奉納したことに始まるといわれ、女の子の祭りだそうです。  袴や天冠などを身につけた32人の少女が鼓や笛を奏でながら行進する優婉な行事だということですが、残念ながら10日の本番を見ることはできませんでした。


診療所  右の写真の建物は建築年代は分かりませんが、いまは診療所として使われているものです。  新しく新築中の町屋も何軒か見かけましたが、地場の伝統的な建て方や材料を用いながら新築されておられました。  細いメインストリートに沿って町屋が肩を並べて立つ室津のまちですが、どこか確かな生活のぬくもりのような雰囲気を感じさせられました。  路地まで石畳で舗装された生活空間、街角に設えられたポケットパークなど狭い土地に寄り添って生きる生活の知恵や工夫が満ちていました。  きっと住まわれているひとりひとりがそこに住む誇りをしっかり持っておられて、またまちにずうと興味を持ち続けて自身もまちづくりに積極的に関わっておられるからだろうと思いました。  和泉でのわたしたちのまちづくりでも見習わなくてはならない点だと思います。


室津漁港から加茂神社をみる
室津漁港から加茂神社をみる
室津のまちなみ
室津のまちなみ

室津海駅館
「室津海駅館」
室津海駅館の格子と手摺
「室津海駅館」の格子と手摺
室津海駅館・海へのトオリニワ
「室津海駅館」海へのトオリニワ

加茂神社の石段
加茂神社の石段
 室津の民家
室津の民家
室津を探索中
室津を探索中

新築中の町屋
新築中の町屋
室津のメインストリート
室津のメインストリート

室津のメインストリート
室津のメインストリート
室津漁港
室津漁港